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前野悦輝教授が仁科記念賞受賞

(文部科学者グローバルCOEプログラムのニュースレターより)
NGP NEWS LETTER No.9
京都大学 GCOE 普遍性と創発性から紡ぐ次世代理学 -フロンティア開発のための自立的人材育成- (2011.2.1)

常見 俊
物理学第二教室
原子核ハドロン研究室 研究員

2010年の仁科記念賞を「スピンニ重項超伝導体ルテニウム酸化物の発見」の業績で受賞された前野教授にインタビューをして、記事にしたものです。業績はもとより、前野教授が学部や院生のときの生活についてもお話を伺いました。仁科記念賞は、Klein―Nishinaの公式で有名な仁科芳雄博士の業績を記念して、若手の研究者に贈られる賞です。

■ 超伝導や超流動の研究をされるきっかけを教えてください。

 物理の研究を始める上では、高校の先生との出会いが大きかったです。高校の授業で、万有引力について習っていた時のことです。先生が、「月はなぜ地球に落ちてこないか?」という疑間を投げかけられ、生徒の間で意見を戦わせたのです。そのとき、いくつかの選択肢を挙げられて質問をされました。これは、今思うと板倉聖宣氏が中心となっている「仮説実験授業」という授業形式だったようです。このときに、教室が大変盛り上がりまして、今でもそのときの雰囲気を鮮明に覚えているぐらいです。その時ぐらいを境に、物理が好きだということを自覚しはじめました。

図1.自主ゼミで使っていたテキスト
図1.自主ゼミで使っていたテキスト

 大学に入る頃には、「宇宙に関することをしたい」と漠然とした想いを持っていました。1回生の夏休みに米国に行って、NASAのジェット推進研究所やカリフォルニアエ科大学を訪問し、かなり感化されました。このときから大学院は米国に留学と決めました。当時は京大では自主ゼミが盛んで、大学からの支援もあり博士号を取られた方をチューターとして自主ゼミにつけてもらっていました。私が参加した「宇宙論ゼミ」は天体核理論の佐藤通さんという方が担当され、よリー層物理への想いを強めました。そのあと前田恵一さんが継がれました。佐藤さんから「林忠四郎教授(当時)には『大学院にいくならランダウ・リフシッツを読みなさい』と言われた」ということを聞きまして、皆でランダウ・リフシッツを一から読み始めました。この自主ゼミは4回生までずっと続きました。ちなみに、現在の宇宙物理学教室教授の長田さんもそのメンバーでした。

 超流動という言葉には、学部2回生のときに、「熱統計物理学」の講義で印象的に出会いました。素粒子・場の理論の山崎和夫さんが「キッテル熱物理学」の教科書に忠実に沿って講義を進められ、とてもわかりやすかつたのを覚えています。特に、「負の温度」の定義や「超流動」の話が印象的で、低温物理学に魅かれていきました。さらには、学部3回生の課題演習にのめりこみました。課題演習は、いまでもその伝統を引き継いでいますが、当時から課題の解決にむけて、自分達で実験装置を作って取り組みました。そのときの課題は「比熱の測定」で、当時の遠藤研(現在の八尾研)が担当されていました。物質名は知らされずに、比熱の測定を行い、測定し始めたころに物質名を教えてもらえるというものでした。課題として与えられた物質の高温での比熱測定もおもしろかったですが、低温に魅かれていたので、課題にはなかったのですが、最後には装置ごと液体窒素に突っ込んで低温比熱も測ろうとしました。結果は高温用の装置では低温比熱の測定には使えないということを確認して装置を壊しただけに終わりました。ところで、京都大学理学部でとても充実した日を送りましたが、私には決めていたことがありました。それは先にも述べましたが、大学院からは海外に行くという想いです。京都の和菓子屋に生まれ、ずっと京都で生まれ育ちました。ですので、ぜひ京都以外の場所、それも海外にいってみたいと思っていたのです。素粒子理論の大学院生で留学しようとしている人が複数おられることを聞きつけて、情報交換しに行ったりもしました。そのときの一人が現在京大物理の教授の青山秀明さんでした。私の方は課題研究でお世話になった平井章さんや水崎隆雄さんの推薦で、大学院はカリフォルニア大学サンディエゴ校に進みました。超伝導でなく、超流動の研究をするために留学しました。

*1:この本の写真が図1です。

■ 超流動を一言でいうと、どんなものでしょうか? また超流動の研究から超伝導の研究に転向されたきっかけは?

 超流動とは、厳密性を犠牲にして簡単にいうならば、ボーズアインシュタイン凝縮を起こした状態です。ボゾンからなる系が十分低温で十分高密度になるとポーズアインシュタイン凝縮状態になって、すべての粒子がひとつの波動関数で表せるようになる状態です。コヒーレントな状態で、粒子の波動関数の位相が全部マクロに揃うのです。実際は粒子問相互作用の影響とか、凝縮状態と超流動性の違いとか、いろいろ考慮すべき基本点もあります。超流動の性質のひとつとして、試験管に入れていた液体ヘリウム4が、試験管の外壁を伝わってするすると外にでていってしまうという現象があります。
 市民講座などでは「超流動とは原子の超流動。超伝導は電子対の超流動」と説明しています。ヘリウム3原子はフェルミ粒子で、その超流動は原子の対の超流動なので、電子対の担う超伝導とも似ています。超流動状態で原子や電子の質量、電荷、スピンなどの状態や流れがどうなっているのかが面白い点です。
 博士論文のテーマは超流動ヘリウムの熱対流の研究でした。広島大学の助手にしてもらってから、その研究室のテーマである超伝導に転向しました。今回の仁科記念賞のもう一人の受賞者は東大の金子さんです。金子さんとは授賞式のときが実質初対面でした。しかし実は私がカリフォルニア大学の大学院生として米国ロスアラモス国立研究所での研究で博士を取った直後の1984年に、金子さんから手紙をもらっていました。彼はポスドクとしてロスアラモスに来ることになったので、私に現地情報を尋ねてこられたのでした。結局、金子さんがロスアラモスに着任されたのは、私が広島に向けて発った1週間後だったので、その時は入れ違いでお会いできませんでした。

■ ところで、仁科賞のWEBサイトでも引用されている超伝導の論文名(※1)の一部に「without copper」 と、なぜ「銅なしで」 ということを書かれているか教えて下さい。

 まずは、超伝導の歴史を簡単にお話します。超伝導は、1911年にオランダのカメリン・オネスによって、水銀が4.2Kで電気抵抗ゼロになるとして発見されました。その後の長い研究の歴史を経て、1986年には銅酸化物で約30Kの超伝導を示す画期的な物質が発見され、すぐに関連の銅酸化物で約90Kで、の高温超伝導体も見つかったのです。液体窒素の沸点は77Kですから、それよりも高い温度で超伝導になるため、容易に超伝導現象を起こすことが可能になりました。ここで重要なポイントがあります。銅酸化物で似た結晶構造の物質はたくさん高温超伝導になりましたが、これは銅が良いのか、結晶構造が良いのかという問題です。私は、結晶構造の重要性を意識して、銅以外の元素を使って新たな超伝導を見つけたいと、Ru(ルテニウム)を用いたのです。

■ Ru(ルテニウム)はどんな物質ですか?

 元素周期表で説明します。Ruは原子番号44番で、元素周期表を縦にみると原子番号26の鉄の真下にあり、鉄と似ているともいえます。また、横にみると、原子番号47の銀などの貴金属に似ています。このように元素周期表からみると、Ruは、鉄のような性質をもった貴金属であるといえなくもありません。

■ Sr2Ru04は鋼酸化物とは、どのように似ていますか?なぜ、ルテニウムを選ばれましたか?

図1.自主ゼミで使っていたテキスト
図2.エレメンタッチを手に解説する前野氏

 Sr2Ru04はスイスのベドノルツとミュラーによって発見された最初の銅酸化物高温超伝導体と同じ結晶構造で、銅をルテニウムで置き換え、Srのところもそれなりに置き換えたものです。ルテニウムを選んだのにはいろいろ理由があります。主役となる原子の外殻電子数が5個のものがいいなと思いました。銅酸化物では電子数9個が基本状態です。電子が9個であることが非常によいといういろんな理由づけができるので、他にも9個のものをいろいろ試しましたが駄目でした。それに似た電子配置として、電子数が5個のものも選びました。
 もう少し詳しくお話しましょう。対象とする酸化物の中では銅やルテニウムのような遷移金属元素の周りに酸素が配位しています。遷移金属はd軌道の電子をもち、方位量子数フは2で、電子軌道が22+1=5個あります。それぞれ電子スピン上下向きの合計2個入れるので、d電子10個まで入ります。これらの軌道はエネルギー縮退していますが、この結晶中では酸素の静電場で縮退が解けており、下に3レベルと上に2レベルができます。銅酸化物は電子が9個あるので、一番上のレベルに1個空きがあることになります。電子は5個だと、下のレベル3つのうちの一番上のレベルに1個空きを作ることができます。軌道の一番上のレベルに1個空きがあるという点で、似ているのです。ルテニウム以外にも電子5個のものをいろいろ試しましたが超伝導にはなりませんでした。結局のところ、電子5個で試したものはダメでした。ルテニウム酸化物を手掛けて6年目に、電子4個のルテニウム酸化物を冷やしたところ、ビンゴ!でした。

■ ルテニウムに巡り合われた経緯を教えてください。

 超伝導になることをみつけたのは1994年です。銅酸化物の高温超伝導発見から8年たっています。すさまじい研究競争のなかで、銅以外の同構造の酸化物で世界初の超伝導物質を自分達がみつけるとは思っていませんでした。そもそも私は超流動の研究から超伝導に移ってきた素人でした。博士号は超流動でとって、助手になってから初めて酸化物の超伝導を扱いました。超伝導の物質合成は初めてでしたが、非常に面白い分野だということはわかりました。なぜなら、自分でものを考えて、自分でものをつくことができるからです。ルテニウムを用いて研究しようと思ったのは、ベドノルツさんに見出してもらって、1988年~ 1989年にIBM社の資金で留学させてもらったときでした。ベドノルツさんは1987年にノーベル賞を取られたばかりでした。スイスのIBMの研究所に行ってみると、ベドノルツさんもはや銅酸化物の研究はやっていませんでした。それは、世界中の研究者がフィーパーに乗って銅酸化物の研究してくれているからです。ベドノルツさんは銅酸化物以外の新超伝導体を探すことに専念していました。彼からテーマとしていくつかの候補を示されて、私が選んだのはルテニウムでした。ルテニウムは貴金属ですから値段が高くて、当時の広島の研究室ではできない研究テーマなんです。私は日本でも、ニオブとかニッケルとかチタンなどの酸化物で超伝導探しをしていたのですが、これらはベドノルツさんの狙っていたものと方向性がかなり似ていました。しかしどれが超伝導になるかわからないのに、大枚をはたいて、当たるか当たらないかわからないような貴金属のようなものは日本では手掛けられなかった。誰かが発見していれば高くても買いますけど、誰も発見していない段階で高価なものは買えなかったのです。実際、IBMから帰国してすぐにルテニウム酸化物の研究で文部省科研費を申請しましたが不採択でした。さて、べドノルツさんにいくつか提示された中で、日本にいたらできないだろうなと思った物質を選びました。わかりやすかった。すぐにルテニウムを選びました。

■ 1994年のSr2Ru04の超伝導発見のときの様子を詳しく聞かせてください。

 超伝導を確認するには、まず電気抵抗がゼロになるのとマイスナー効果を観測することが必要です。そして超伝導になる物質を特定することも必要です。マイスナー効果は、外からかけた磁場をはじき出す効果のことです。実際はそれを反映する低周波の交流磁場での磁気遮蔽効果を測りました。それにはコイルのなかに物質をいれて、インダクタンスを測ればよいのです。超伝導になったら、中を貫く磁東の数が減り、インダクタンスも減るので超伝導になったことを確認できます。
 1994年4月に多結晶試料での比熱データを最初に得て、それに続いて、電気抵抗率、磁化率でも超伝導の兆候をつかみました。しかし本当だと重要な発見になるので、超伝導の証拠として十分なデータが揃ってから論文を出したいと思いました。そこでベドノルツさんにお願いしてスイスの実験室の棚に何年間も眠っていたSr2Ru04単結品を日本に送ってもらいました。

 図3.超伝導を見つけた時の写真
図3.超伝導を見つけた時の写真

 スイスからの単結晶が届いてすぐの1994年8月4日(木)に、大学院生2人と一緒に3人で単結晶試料の電気抵抗を測って、きっちりゼロ抵抗になることを確認しました。その後の詳しい測定は学生さんに任せて、私は旋盤工作で次の実験用のコイルを作りました。この時のコイルのデザインは今でもうちの研究室で使ってくれています。そして8月9日(火)には、マイスナー効果を示す信号がオシロスコープに現れました。その信号が現れたときのことは今でも鮮明に覚えています。1週間後の8月16日(火)に論文をNature誌に投稿しました。その間の週末にはロスアラモス国立研究所時代の日本人会があり、温泉宿で過ごしました。温泉につかりながら、論文をどのように書こうかと思い巡らしました。投稿日にはちょっとした遊び心があります。8月16日は、京都では五山の送り火が行われます。京都人の私としては、執筆前にまずこの日を論文に印刷される「送り日」に設定しました。また、この論文では最後になって初めて研究の動機を書いています。最初エディターからちょっとクレームも付きましたが、現場ではこういう発想の順番で新しい超伝導体探しをやっているんです、ということで認めてもらいました。

■ ルテニウムを扱う上での工夫を教えてください。

  ルテニウムだけを含む酸化物は高温では蒸発がはげしいです。ある程度さっさとつくることが肝要で、ゆっくりじっくり作っていたら、大事な元素が蒸発してしまいます。非常にラッキーなことに、Sr2Ru04という物質は一旦出来ると化学的にとても安定で酸や水分にも強く、酸素の含有量も安定しています。研究の初期では、銅酸化物に似せて、奇数の電子を持つ状態のルテニウムの酸化物を作ろうとしていました。けれども、Sr2Ru04は4つの電子を持っています。発見されてしまえば、なんのことはない、偶数の電子でO.Kだったのです。銅酸化物は電子が9個でないといけないというルールが刻みこまれていたけど、あたり前ですがどこかルールを破らないと新しいものができません。Sr2Ru04はあくまで参照物質として作ったものでしたが、予期せず超伝導になりました。この超伝導発見は修士論文のテーマになりました。そのときの大学院生の橋本博明さんは現在、衆議院議員です。Sr2Ru04の測定を始めるとき橋本君が、「前野さん、これ電子4個ですけど低温まで測るんですよね?J と聞いてくれたのが印象的でした。銅酸化物高温超伝導体の発見が偉大すぎて、大学院生にも固定観念が浸透していた、というか指導教員が悪い影響を与えていたというべきですね。しかし、周辺物質までくまなく調べ始めていたので、遅かれ早かれこの超伝導体は見つかっていたと思います。
いま興味をもっているのは共晶物質とよばれるものです。成分を調整することで、Sr2Ru04の単結晶の中にRuの単結晶薄片がマイクロメートルのスケールで規則的に並んだものを自然に作れます。両物質の界面は原子レベルで清浄界面になっています。自然の造形を使って超伝導のいろいろな基礎実験をすることができます。これらを利用することでスピン三重項超伝導ならではの新現象の実証を積み重ねたいと思っています。現在、京大の大学院生がそのような実験に取り組んでいます。

■ COEの恩恵はどのように受けられましたか?

 ルテニウム酸化物でスピン三重項が実現しているという証拠には、国際共同研究を含む多くの実験結果の積み重ねがあります。スピン三重項というのは、電子対のスピンに関しては三重項状態になっていることを証明しないといけません。一番直接的な実験は核磁気共鳴(NMR)を用いた実験です。現在京大物理の教授の石田憲二さんが当時助手をしていた大阪大学の研究室の北岡良雄さんが、NMRの緩和率の測定結果を見て「Sr2Ru04は従来型のスピン一重項s波超伝導体では絶対ない」とおっしゃったんです。それと前後して、スイスのライスさんとシグリストさんが1995年に「Sr2Ru04の超伝導は、ヘリウム3のスピン三重項超流動の電子版ではないか?」 という論文を発表されました。この論文のおかげでスピン三重項の可能性を追求するという実験の方向性が定まり勢いが増しました。1996年に広島大学から京都に異動になりましたが、新しい実験室立ち上げに周りから大変強力なサポートをいただき、すぐに京大発の論文も出せるようになりました。
 COEとの関係では、京大に移ってこられてからの石田憲二さんのグループの核磁気共鳴(NMR)の成果が重要でした。大阪大学時代のNatureに掲載された論文(※ 2) に加えて、さらに多様で徹密なNMR実験の蓄積がありました。これらの実験が今回受賞しました仁科記念賞にも大きなインパクトを与えたのではと私は想像しています。これらの実験で、従来の一重項の超伝導ではスピンが消えるはずの電子対(クーパ一対)が、スピンをもっているということが示されました。京大の大学院生の貢献が,大きいことは言うまでもないことですが、その中で出口和彦さんは、21世紀COEの最後のときにCOEのPDとしても働いてもらいました。比熱測定から超伝導ギャップ構造を明らかにして、スピン三重項の理論の整合性もはっきりしました。
 京都大学の環境で恵まれたのは、退職された山田耕作教授のグループが高度な包括的な理論を構築されて、電子同士の反発力によって超伝導が生まれることの基礎づけをされたことです。その理論展開では、ルテニウム酸化物も重要な例としてお役にたてたと思います。

■ グローバルなつながりはどのようなものがありますか?

 国際的な共同研究として、約15カ国の70以上の研究グループに京都大学で育成した単結晶試料を送ることにより、多彩な研究を行なってきました。試料提供を依頼されることも多いですが、こちらから実験を企画して頼むこともあり、論文執筆は共同して行うことが普通です。留学していたので、英語でのコミュニケーションが円滑にできるというのも役にたっていると思います。国際共同研究では試料提供しているグループをとても大事にしていただくことが多いです。一方、国内会議などでときどき気になるのですが、明らかに他の研究グループから提供された単結晶試料の測定で成果を挙げられての発表なのに、試料作成グループについて全く言及しない場合もみかけます。
 長期海外滞在は2回しました。学部在卒業してすぐに米国に5年間留学しました。そのつぎにベドノルツさんのところに1年間滞在しました。そのきっかけは、仙台で開催された国際会議のウェルカム・リセプションでした。米国からの馴染みの先生方が多く参加しておられたので、その辺を渡りあるいていろいろ話をしていたんです。ベドノルツさんは、日本から若い研究者を一人雇えるということで、そのパーティーでは誰が元気そうかというようなことを見られていたんです。この話は、彼本人から後で聞きました。ひとり、海外からの研究者となんか親しそうに話している若者がいるということで、それまで、面識はなかったのですが、パーティー中に話しかけてこられました。そのあと私の招待講演も聴かれて、ミュラーさんとも相談されたそうです。会議の終わりの方にベドノルツさんから相談があると呼ばれて、1年間滞在のお話をいただきました。大学院生のときの米国留学がベドノルツさんのところへのスイス滞在にもつながった訳です。

■ これからの展望をお聞かせください。

 スピン三重項超伝導の実証をさらに積み重ねていく必要があります。その際、自分は解釈に関してしっかり批判的な視線も保てるように心がけています。現在では、スピン三重項超伝導体とみられる物質は多くあります。最近では結晶構造が反転対称性を持たない物質での超伝導や、強磁性秩序と共存する超伝導などでスピン三重項状態が確実視されるものがあります。しかしながらスピン三重項であることを直接証明するというのは、なかなか簡単ではありません。自分の中では、もっと決定的な画期的な証拠が欲しいと思っています。スピン一重項ではありえない、スピン三重項で初めて現れる超伝導効果をぜひ発見したいです。キーとなる概念は、クーパ一対が時間反転対称性を破っていること(電子対の双子星としての相互公転運動の回転方向がすべて揃っていること)、そしてスピンと軌道の両方の自由度が生きていることです。その方向での新しい段階の研究成果もぼちぼち出てきており、近いうちにいくつかご披露できると思います。

※ 1
Y. Maeno,H .H ashimoto,K . Yoshida,S . Nishizaki, T. Fujita, J. G. Bednorz, and F. Lichtenberg, Superconductivity in a Layered Perovskite without Copper, Nature 372 (1994) 532-534.
※ 2
K. Ishida, H. Mukuda, Y. Kitaoka, K. Asayama, Z. Q. Mao, Y. Mori, and Y. Maeno,
Superconductivity in by 170 Knight S ,t!hi Nature 396 (1998) 658-660.